201804教会便り

救いの証

本日は、救いの証をさせて頂きます。
私は、クリスチャンホームに生まれ育ちました。最初にイエス様を自分の救い主として信じたのは、保育園の時です。保育園に飛んできたスズメが死に、保育士の先生と土に埋めた体験から、人は死んだらどうなるのかと考えるようになりました。また、死んで終わりなら生きる意味はあるのかと疑問に思いました。「罪から来る報酬は死です。しかし、神のくださる賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠のいのちです。」(ローマ書6章23節)や「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9章27節)などのみことばから、死んで終わりではないとわかりました。燃えるゲヘナではなくイエス様を信じて天国に行きたいと思いました。また、日曜学校で「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。…自分の宝は天にたくわえなさい。」(マタイの福音書6章19、20節)と教えられ、天におられる神様が喜ぶ歩みがしたいと思うようになりました。
小学生になり、嘘をついたり人の悪口を言ったりと自分が罪人である自覚がより一層、芽生えてきました。自分では、自分の罪をどうすることもできず悩んでいました。そんな時、「この方こそ、私たちの罪のための―私たちの罪だけでなく、世全体のための―なだめの供え物です。」(Ⅰヨハネ2章2節)のみことばにあるように、神の御子であるイエス・キリストが十字架にかかり三日目によみがえってくださったことによって私の罪は贖われたとはっきり信じました。
バプテスマを決心したきっかけは牧師だった祖父が召天したことでした。祖父は、「神は愛です。」(Ⅰヨハネ4章16節)とよく語り、神様や人々を愛し、伝道や教会の働きに熱心でした。祖父のように生涯をかけて神様に従う歩みがしたいと、高校2年生の時にバプテスマを受けました。それから、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」というみことばを実践したいと看護師を志すようになりました。「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。」(ローマへの手紙12章11節)や「主に信頼して善を行え。地に住み、誠実を養え。」(詩編37章3節)のみことばから、全身全霊で患者様のために看護がしたいとキリスト教主義の病院へ就職したいという思いが与えられ、大阪の地へ導かれました。
大阪では、初めての一人暮らしでした。それまでは、一人で生きていけると思っているふしがありましたが、一人ではなにもできないことに気づきました。両親や友人とは物理的距離ができ、今まで頼っていたものに頼れなくなり、改めて神様に頼ることを教えられました。ホームシックになった時は、「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」(ヨハネ14章18節)というみことばに励まされ、どんな時も主が共にいるとわかりました。
祈りのうちに主人との結婚に導かれ、この度は新たに富山の地に導かれました。弱く愚かな者ですが、歌の森聖書パブテスト教会に集わせていただき、主にあるお交わりを賜ることができましたら幸いです。よろしくお願いいたします。
M.K.

このようにして証できる機会を与えられ感謝いたします。今日はどのようにしてイエスキリストを信じるようになったか、お話しさせていただきます。
私はクリスチャンホームに生まれ、小さい頃から両親に連れられ、教会に通っていました。教会の日曜学校では、この宇宙、地球、自然、動物、そして人は、すべて神の言葉によって創造されたとき聞き、神様ってすごいなと思っていました。また、イエスキリストを信じれば死んだあとも天国へ行けると教えてもらいました。あるとき祖父にその話をしました。祖父は死んだら消えてなくなるんだよと言い、私はとても悲しく不安になりました。死んだら消えてなくなったらどうしよう、ずっといなくなってしまうんだと思いました。そんなある時、日曜学校の先生が「神の言葉である聖書に約束されています。『神は実にそのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じるものがひとりとして滅びることなく永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)』だから、イエス様を信じる人は永遠のいのちが与えられるよ」と教えてくださいました。その言葉を聞いて次第に信じることができるようになりました。
小学校5年生から東京聖書バプテスト教会へ通うようになり、大人の礼拝にも参加するようになりました。しかし礼拝の話は難しく感じられ、どこか自分には関係のない話と思っていました。それを見かねた両親はヨハネの福音書を写すように勧めました。それならできると写し始めました。写してみると聖書に書かれているイエス様の話は面白く、またイエス様の言葉や行動は、驚くべきことばかりで、神の御子としか思えないようなことがはっきりと記されていました。聖書も読めるようになり次第に礼拝も面白いと思うようになりました。中学2年生の時礼拝で、『私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま、私が肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)』と言うみことばを聞き、自己中心で自分の罪によって思うように生きることができず、神の前に裁かれるべきである私のために、キリストは身代わりとなって十字架にかかり、葬られ、三日目によみがえって、今もとりなしてくださっていることを受け入れました。
高校生になると、次第に自分の両親がクリスチャンだったから信じているのではないかという疑問がわき、様々なことが信じられなくなりました。しかし一つ一つの疑問に教会の先生方や聖書、本を通して答えが与えられ、客観的に見ても真実であること、また疑問を持つことは悪いことでないことも次第に教えられました。
そのような中で大学進学で親元を離れ、富山に来て、歌の森聖書バプテスト教会へ集うようになりました。大学2年生のとき礼拝のあとで、秋山先生からヨシュア記3:15をお話していただきました。「神のことばに従って、主の契約の箱をかつぐ祭司たちの足の裏がヨルダン川の水の中にとどまったとき、ヨルダン川の水がせき止められた。最初からすべてをわかって信じるのではなく、神様のことばを信じて従うとき、道が開かれることもあるんだよ」と教えていただき、わからないこともあるけれど私でも主は受け入れてくださると知って、バプテスマを決心しました。
それから富山で就職し、2015年より仕事で大阪へ出向し、千里ニュータウンバプテスト教会で妻と結婚に導かれました。今年の一月よりまた富山へ戻ることとなりました。
歌の森聖書バプテスト教会でともに主を礼拝し、賛美し、奉仕に加わりたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
H.K.

日曜学校

我が家の子ども達は日曜日が大好きです。理由は教会に行けるから。朝からハイテンションで、朝食中も笑いが絶えません。
朝一番の集会が日曜学校です。
内容を簡単に説明すると、子供が賛美を歌ったり、お祈りしたり、聖書の話を聞いて、時にはゲームもします。
どの先生も、神様からいただいた賜物をもちいてわかりやすく聖書を教えてくださいます。今回はその中の一人、I先生について語りたいと思います。
先生が前に立つと、「今日はどんな話をしてくれるのかな」と言わんばかりに子ども達の目が期待に輝きます。息子は最初の導入が面白くて、楽しく学びに入っていけるといいます。また、絵が上手で聖書の登場人物から、子ども達の言ったことまでスラスラ白板に書いて説明してくれるので、記憶に良く残るそうです。どんな意見を言っても面白く返してくれるので、子ども達は安心して自分の思いや考えを口にします。間違っても大丈夫。ジョークを交えて笑いに変えてくれますから。
この世の教えや常識は、時代によって変わります。正しいと信じて教えてきたことが間違っていた、ということはあるのではないでしょうか。しかし聖書は変わりません。神様がそう約束してくださっています。真理を子ども達に伝えませんか!教会には、未就園児から高校生までたくさんの子ども達がいます。是非日曜学校にいらしてください!
わたしが植えてアポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
コリントⅠ 3:6
これからも、日曜学校の先生方の働きに感謝しつつ、成長させてくださる神様に期待して祈っていきたいと思います。
N.T.

キッズクラブ

毎月第一土曜日の午後からは、みんなが楽しみにしているキッズクラブです!
マハーご夫妻が、毎月工夫を凝らした、ゲームやアクティビティを考えてくださり、
楽しく英語を学んでいます。最後には聖書の学びとおやつタイムがあります。
この近所だけではなく、富山県のあらゆる所から参加してくださり、またその方たちが続けてクリスマスや、復活祭(イースター)に来てくださり、本当に良い伝道の機会でもあると思います。私たちの祈りは、その方たちがまた続けて、CSや礼拝に来てくださることなので、そのように祈ってくだされば幸いです。
Y.K.

コーヒーアワー

毎月第三火曜日の10時から行われています。いつもマハー満枝先生に来ていただいております。テーマに合わせて、聖書の箇所よりピックアップして下さり、質問形式
のプリントをいただき、楽しく学んでいます。
今回は「家族とは - 聖書に聞く」というテーマの中から、子供を叱るということ
について、箴言を通して学びました。わたしたちはつい子供を叱るときに、感情が先に出てしまいがちで、感情的に叱ってしまったことが多かったように思いました。
聖書に従って、子供を教育(正し)し、訓戒(訓練)し、育てることが大切だと学びました。
「むちを与える」ことも大切ですが、叱った後は悔い改めに導くことが大切です。
一般的にたたくのは小学校低学年まででしょうか、ということでした。
聖書には子ども達への勧めがあります。エペソ6章1-4節
しかしそれは、私たち親への勧めであるとも、どなたかが言われました。
常に「聖書は何と言っていますか」と問いかけ、御言葉を探すことを第一にすることを教えられ、私は興味深く考えています。
S.N

ぶどうの会

歌の森教会ぶどうの会では、厳寒の2月は近くの隠田に行き、身とこころを温めながら主にある兄姉との親睦を深めることが恒例となっている。
2018年2月4日第一主日礼拝、礼拝を主にお捧げした後、今年は神通峡の楽今日館へ足を運んだ。アルカリ性のぬるめの湯のやわらかな肌触りを堪能しながら、同じ神を信じる者同士の幸いなひとときを過ごした。
2018年度のぶどうの会の祝福と、この素晴らしい交わりに一人でも多くの人が加えられることを主に心から祈りたい。
S.M.