201712教会便り

救いの証

11月26日(日)に3人の方のバプテスマ式がありました。
バプテスマとは、イエス様を信じた方が受けるものです。3人の方の救いの証です。

天におられる父なる神様、御名前をほめたたえます。
このような機会を与えていただいたこと、主に感謝します。
私が初めて教会に行ったのは2000年の12月でした。M姉妹に誘われて旧教会のファミリークリスマスに、家族とお向かいさんのファミリーと参加しました。それからしばらくして、2001年、初参加した日曜学校はYさんと、そして礼拝は、この会堂が建設中だったため、青い谷にある、「おぐら館」でした。
教会の皆さんは普通の人でした。普通のというのが良かったのでしょうか。普通という表現は伝わりにくいのですが、皆さんがいつも明るく笑顔で声をかけてくださったことが、私を長く通わせてくれることにつながりました。本当に感謝しています。
私が想像していた「教会に通う人」というのは、まじめで誠実で清い人、体を病んでいる人、悩みのある人、などで、悪いことをしてしまった人が懺悔しに行く所だと思っていました。自分は人を殺したこともないしそんなに悪いことはしていないので、教会に行く必要がないと思っていました。そもそも宗教に関係なく、人を殺さなければだれでも天国へ行けると思っていました。
また、イエス様が私の罪を背負って、十字架にかかられ、死んで三日目によみがえられたというのは信じていましが、信仰告白をしていないと救われないというところに、引っ掛かっていました。何故なら言葉を話せない人や赤ちゃんや子供はどうなのだろうと考えたからです。答えは聖書にありました。
『そういうわけでちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に死が広がったのと同様に―――それというのも全人類が罪を犯したからです。』ローマ5:12
人は生まれながらに罪人なのだと知りました。そして、義人はいない、ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいな
い。すべての人が迷い出て、みな、無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。ローマ3:10こ の個所から、自分自身が罪人だということがわかりました。
自分ではわかっていても信仰告白する勇気がなく、とりあえず教会だけは通い続けていました。
2017年6月25日、信仰告白する日がやってきました。
特別伝道集会『初めての方の聖書のお話』。タイトルが私らしいと思いました。
平塚聖書バプテスト教会の三谷浩司(ひろし)先生が来られた時のことです。いつも一緒に礼拝後お祈りしているR姉妹に「あんた、手、あげられ」と勇気をいただきました。招きで手を上げ、自分が罪人であり私の罪のために私の罪を背負い、イエス様が十字架にかかって死んでくださり、3日目によみがえり、今も生き続けておられると告白することができました。その時の気持ちはスッと体の力が抜け、ホッとしました。これで救われたのか今でも実感がありませんが、これからは神様とともに歩んでいけることに感謝し、クリスチャンとしての自覚をもって信仰生活を送っていきたいと思います。
長い間続けて、私の為にお祈りしてくださった教会員の皆様本当にありがとうございます。
最後に、私は『神の愛』を感じられる聖句が好きなのでエペソ1:5~7を読んで終わりたいと思います。
神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。
私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
ありがとうございます。
H.I.

私は生まれた時から毎週教会に通っていました。イエス様が救い主だということはいつの間にか信じていました。
でも私がイエス様を信じたのは今年の三月のジュニアキャンプで、ローマ人への手紙10章9~10節で「人は心で信じて義と認められ、口で告白して救われる」という御言葉を聞いて、イエス様を心で信じてはいたけど口で告白していないことに気づき、キャンプの第二集会のときにかよこ先生と前に出てイエス様が私の罪のために十字架に架かって死んでくださり、3日目によみがえってくださったことを信じる決心ができました。
神様が私に信じる決心する機会を与えてくださってすごく感謝だなと思いました。
A.T.

僕は、イエス様が十字架で死なれて3日目によみがえったことを信じました。
今年の3月のJrキャンプのかじさ先生のお話で例え話がありました。携帯電話は充電器につながっていないと何にも役に立たないとわかって僕も神様につながってないと思いました。前は教会よりも野球のほうが大事だと思っていたけど、イエス様のほうが大事だと気付きました。だからイエス様とつながりたいと決心しました。
イエス様が十字架で死なれて3日目によみがえったことを信じたので、イエス様とつながることを決心します。
信じた御言葉 「心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」申命記6:5
M.K.

日曜学校

♬今日は日曜日、主イエス様が~♬
日曜学校はこの賛美からスタートします。集まる子供達は皆、賛美が大好きです。中でもK君は、CSの先生に歌ってもらうのが好きで、「ペテロとアンデレ、歌って!」とせがまれ、エンドレスに歌うはめになります。
また今年は、“祈り”について一人一人の子供と向き合い、考えるひとときが与えられました。礼拝中、司会者の祈りと共にブツブツとつぶやくように祈っていたT君。私は不信仰にもT君がなんと祈っているのかどうしても聞きたく、耳を傾けると、「〇〇〇〇はもうしません!△△△△はもうしません!」と熱心に祈っているのです。純粋なT君の祈りに心打たれました。
BBFジュニアキャンプ、北陸合同子供ジュニアキャンプ、教会お泊りキャンプ、その一つ一つの集会の恵みの積み重ねも大きく、移動途中の車中での暗唱聖句大会(!?)で盛り上がることもあったと聞き、主にある子供たちの成長を感謝するばかりです。
そして、11月26日、M君、Aちゃんのバプテスマ式が行われました。式の一部始終をかじりついて見ていた小さな子供達の姿も印象的でした。
城門を開けて、誠実を守る正しい民をはいらせよ。イザヤ26:2
T.Y.

キッズクラブ

キッズクラブは、月に一度の子供たちを対象とした集会です。英語を使ったゲームと聖書のお話、そして、スナックタイムがあります。毎月、マハー先生ご夫妻が来てくださり、盛りだくさんの楽しい内容の集会です。
今月は、12月2日の土曜日の午後2時からキッズクラブが行われました。今年最後のキッズクラブには、たくさんのお友達が参加してくれました。また、フィリピンからいらっしゃった3人のお兄さん、お姉さんも初めて参加してくださいました。
まず初めのゲームは ”What time is it Mr.Wolf?”でした。体を動かすゲームです。
それから、絵を見ながら、色々な農場にいる動物の名前を覚えました。ホープさんの発音をまねながら、みんなで覚えました。そして、2つのチームに分かれて、順番に聞かれた動物を指さして、早くチーム全員ができた方が勝ち、というゲームをしました。
続いては、大きい子と小さい子の2つのグループに分かれました。小さな子供達は、お手玉を的に当てて、当たった動物の名前のアルファベットのチップを並べるゲームをしました。大きい子供達は、言われた動物の絵を指さして、その動物のアルファベットのチップを並べるゲームをしました。
続いては、満枝先生の聖書のお話です。今月はクリスマスのお話でした。本当はクリスマスは何の日なのでしょうか?満枝先生が分かりやすく子供たちにお話してくださいましたよ。
そして、お待ちかねのスナックタイムです。今月は満枝先生の手作りカップケーキでした。その上にみんながデコレーションをしました。とても、個性あふれるデコレーションの数々です。子供たちのセンスに感動しながら、美味しくいただきました。
キッズクラブは来年は2月から始まります。参加は無料です!
来年もたくさんの子供たちの参加をお待ちしています!
K.T.

コーヒーアワー

当教会では月に一度、第三火曜日の午前中、コーヒーアワーというひとときを開いています。(8月はお休みです。)
この集いは、聖書からのメッセージを聞いて、賛美したり、集われた方々とお茶や菓子を頂きながら交流を深めるひとときです。
聖書からのメッセージは、石川県より毎月、マハー満枝先生(宣教師婦人)をお招きして、お話ししていただいています。今年の前半のテーマは、「幸福とは?」。9月
からは「家族」をテーマに、聖書からお話しして下さっています。
私たち人間をはじめ、この世界全てを創られた神は、私たちの幸福、また平和を願っておられ、私たちに惜しみなく、豊かに与えて下さるお方です。私たちも幸せを求め、家族の平和を願い、日々生活しています。しかし、そこには悩みもあり、時には苦しむ事もあります。悩むまではいかなくても、どうしたらいいんだろうと日常生活の中で思う事はないでしょうか。クリスチャンとして生きている私にも多々あります。その中で、聖書は、まず神との正しい関係に立ち戻る事を教えます。その立ち戻る時と場が与えられている事は恵みです。
ティータイムやランチタイムでの皆様とのおしゃべりの中でも、元気をもらったり、励まされることがたくさんあります。このようなひとときに、毎月集える事は恵みであり、感謝です。
聖書は初めて、という方でも、気軽に参加できるひとときです。ぜひ、いらしてください。
K.A.

ぶどうの会

かつては「中高青年会」という名のもとに、中学生と高校生、それに数枚の重荷を
負ったユースリーダーたちが集まっていた。彼らは成長し、いつしかそれぞれ異なる
場所に遣わされ、今も各地で主に仕えている。
あれから時は流れ、今は参加者は中高生ならぬ中高年のみ。『アウトドア&アスリート系』だった活動内容が、『引きこもり&食の祭典』へと偏向していた時期もあった。
しかし主は、パパさんママさんとなった青年たちを再び呼び戻してくださった。さらに彼らの子供たちまでも、この会に導いておられる。『ぶどうの会』と名前を変えた今では、文字通り「老若男女」がともに集まり、様々な楽しいひとときを通して、主のみ言葉を学んでいる。
I.T.